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父の遺言

願い




父の遺言

『仏説無量寿経』の中に「人、愛欲の中にありて独り生まれ独り死し、独り去り独り来る」という言葉が出てきます。私たちは、生まれるときも死ぬときも、ただ独りでその苦難と立ち向かわなければなりません。そして、その苦難は誰にも代わってもらうことはできないですし、それは前触れもなく突然やってきます。

前住職である父は中学校の校長を定年退職し、さあこれから法務に専念できる、充実した老後を送っていけると思っていた矢先、突然の癌の宣告を受けました。肺癌、それも末期、余命半年といったものでした。本当に突然のことで家族は動転し、それこそ「何かの間違いであってほしい。」と願っていました。父の前では平静を装っている母でしたが、母の目がいつも涙目であったことが印象的でした。しかし無情にも病魔は確実に父の体を蝕み、体格の良かった父がみるみる痩せていきました。その傍で無力な家族はただ父の様子を見守ることしかできませんでした。


 ある日、父が寝床から起き上がり、ゆっくりと歩を進めて私達のところへやってきました。「本堂に行ってくるわ。」絞り出すような声には力が感じられませんでした。少し動くのにも息切れするような状態でしたので心配でしたが、誰も止めることはできません。ゆっくりとした足音だけが無事本堂に行っていることを知らせてくれました。ところが、手を合わせてすぐ帰ってくるのだろうという予想に反して、なかなか帰ってきません。「本堂で倒れてるんちがう?見てこようか。」という姉に対して、もう少し待ってみよう、もう少し待ってみようと落ち着かない時間を過ごしていました。一時間近く経過したでしょうか、やっと父の足音が聞こえてきました。「無事だったんや。」みんな安堵し、心配していなかったような顔をして父を待ちました。そして、父は、ゆっくりした足取りで私達に近づいてきて、遠くを見つめながら「俺には阿弥陀さんがついとる・・・。」とつぶやくように言いました。父のその声は小さかったのですが、何か自信に満ちた力強さが感じられました。誰も父の言葉に反応することはできませんでしたが、父は再びゆっくりと寝床へ戻っていきました。


 死が一歩一歩確実に近づいてくる不安、独りで死ななければならない恐怖とはどんなものでしょうか。おそらく、それらに押しつぶされそうなになって、居ても立ってもいられなくなるのでしょう。父も抱えきれない不安・恐怖を降ろしに本堂に向かったのだと思います。本堂での父の様子は見たわけで訳ではないのですが、阿弥陀さんの正面に座り、手を合わせて、ただぼおっと阿弥陀さんの顔を眺めていたに違いありません。何十分も阿弥陀さんの顔を眺めていると、不安や恐怖が次第に薄れていき、ある事実に行き着いたのでしょう。「そうか俺は一人じゃないんや。阿弥陀さんがおる、片時も離れず阿弥陀さんがついてくださっとる。」住職である父が、改めて阿弥陀如来のはたらき、存在を実感した瞬間だったのだろうと思います。そして、父はその感動を私達に伝えたかったのでしょう。「俺には阿弥陀さんがついとる・・・。」


 その数ヵ月後、父は病院のベットで眠るように息を引き取りました。父の最期に立ち会った母の話によると、息を引き取る直前、父の目から一筋の涙がこぼれ落ちたそうです。きっとそれは感動の涙であり、慶びの涙だったのだろうと思います。父が往生した今、思い返すと、あの言葉が父の遺言だったのだと思います。「俺には阿弥陀さんがついとる・・・。」

 
 阿弥陀如来は決して苦難を取り除いたり、病気を治したりはしません。現実をそのまま受け止め、共に苦しみ、共に悲しみ、私が願う前に私のことを願ってくださっています。「私には阿弥陀さんがついている。」という絶対的な安心感が、無常の世の中を生きていく原動力になっていきます。

 
 父の遺言、深く受け止めました。






願い

私たちは、物事に行き詰まると「どうか・・・しますように。」とついつい願ってしまいます。願ってもどうにもならないことはうすうす感じてはいるのですが、自分の力ではどうしようもない状態に陥ったときには願わずにはいられないのです。願うことが悪いと言っているのではありません。願う姿は、煩悩と切っても切れない身である私の姿なのです。言い換えますと、人間であれば願うのは当たり前なのです。しかし、実は私が願う前に、仏様の方から苦しみ迷う私に向けてずっと願い続けてくださっている、このことに気付いたとき、新たな世界が広がっていきます。


 私は大学、大学院を入れますと通常の二倍以上の9年間もの間、学生をさせてもらっていました。父はよく「他人より長く遊ばしたっとるだけや。」と言っていましたが、本当にその通りだったのかもしれません。長い学生生活を終え、筑波にある研究所に職を得て、明日の朝、旅立とうとするその夜、父が私のところにやってきました。

「お前、これを持っていけよ。」

と差し出したのは腕時計でした。私は、体に装飾品をつけるのが嫌いで、それまでずっとネックレスや指輪、腕時計なども付けていませんでした。それらをつけると、何か体が縛られるようで窮屈に感じたのです。

「俺、腕時計とかするタイプではないからいらんよ。」

「そんなこと言わんと、まあ持っていけ。今までと違って時間ぐらい分からんなあかんときがあるやろう。」

「でも、腕時計はつけへんからな・・・」

「もし、いらんかったらそれはそれで構わへん。これは、高価な時計とちがう。自分の時計を修理する間に代用品として買った時計やから、いらんかったらそこら辺に置いとけばいい。」

そこまで言われたら、さすがに断りきれず、「分かった・・・」としぶしぶ時計を受け取りました。完全にありがた迷惑でした。実際、職場では時間に追われるようなこともなく、その腕時計は一度も付けられず、まさに父の言ったとおり、部屋の片隅に置かれてその存在すら忘れ去られたままでした。


その存在を思い出したのは父が亡くなってからでした。(そういえばあの時計どこにあるかなあ。)探してみると、ほこりをかぶり完全に時間が止まった状態でその時計は見つかりました。確かに、高価でもなく、好みのデザインでもない、長期間放置すると止まってしまう不便な時計です。でも、その時計を眺めていると自然に涙があふれてきました。その時初めて、父がどんな思いで私にこの時計を渡したのかに気付かされたのでした。


 長い間学生をしていて、親に甘え続け、社会の厳しさなんて何も知らない息子が、やっと社会人となって旅立とうとしている。それは、それは心配でならなかったと思います。「どうか、立派な社会人になってくれよ・・・。どうか、恥ずかしくない大人になってくれよ・・・。」父の願いがこの時計には込められていたのです。言葉数も少なく、不器用な父でしたが、親心のささやかな表現が時計を渡すという行為だったのだと思います。渡されたときにはそんな願いがあることなど、全く気づきませんでした。もったいないことをしたと、今となっては後悔するばかりです。もし、その時、父の願いに気づいていれば「ありがとう。どこまで頑張れるかわからないけど、精一杯頑張ってみるわ。ありがとう。」と喜んで時計を受け取れたのだろうと思います。情けないですが、現実の対応は全くの正反対でした。


父が亡くなった今、せめて父の願いを感じながら日々生活していきたいと考え、肌身離さず、その時計をつけています。


目に見えるわけでもなく、声として聞こえてくるわけでもない『願い』は、なかなか気づきにくいものです。特に、調子のいいとき、元気なときなどは我が道を行き、自分ひとりの力で生きているような錯覚に陥りがちになります。しかし、気づこうと気づかまいと私たちは仏様に願われている存在なのです。仏様の目から見れば、私たちは赤ん坊同然です。いつまでもフラフラと迷い続ける危なっかしい私を心配で心配でならないのです。「どうか、私の方を向いてくれよ。そして、どうか、その命を輝かせてくれよ。」


父の願いを聞き入れられなかったように、仏様の願いもなかなか聞き入れることができない私です。しかし、願いに気づかないまま人生を終えていくことは非常にもったいないことです。この世界に充満する『願い』に素直に耳を傾け、日々生活させていただきたいと、父と仏様を重ねて感じています。



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